旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)、安倍晋三元総理との関わりでも話題となった韓鶴子(ハンハクチャ)総裁。
岸田文雄総理大臣を呼びつけたとされる発言でも話題です。
そんな韓鶴子総裁の子供は、何人いるのでしょうか。
17歳で結婚・出産していた息子や娘についてまとめました。
韓鶴子(ハンハクチャ)総裁プロフィール!
名前:韓鶴子(ハンハクチャ)
別名:マザームーン
生年月日:1943年2月10日
年齢:80歳(2023年現在)
出身地:大韓民国
生誕:日本統治下朝鮮 平安南道
配偶者:文鮮明(1960〜2012)
文鮮明さんの3番目の妻である韓鶴子さん。
文鮮明さんは息子(長男)に跡を継がせようとしていましたが、
文鮮明さんが亡くなった後、実の息子を押し退け、教団のトップについていることも注目されています。
韓鶴子(ハンハクチャ)総裁の子供は何人?
韓鶴子総裁には、
子供が14人います。
結婚して22年の間に、14人(7男7女)の子供を出産しています。
・第1子:文譽進(문예진)、長女1960年生
ウィキペディア
・第2子:文孝進(문효진)、長男1962年生(故)
・第3子:文惠進(문혜진)、次女1963年生(故)
・第4子:文仁進(문인진)、三女1965年生
・第5子:文興進(문흥진)、次男1966年生(故)
・第6子:文恩進(문은진)、四女1967年生
・第7子:文顕進(문현진)、三男1969年生
・第8子:文國進(문국진)、四男1970年生
・第9子:文權進(문권진)、五男1975年生
・第10子:文善進(문선진)、五女1977年生
・第11子:文榮進(문영진)、六男1978年生
・第12子:文亨進(문형진)、七男1979年生
・第13子:文妍進(문연진)、六女1981年生
・第14子:文情進(문정진)、七女1982年生
第2子の長男は、45歳と時に事故で亡くなっているようです。
第3子の次女は、生後8日で亡くなっていると言われています。
また、
第5子である次男も、18歳の時に交通事故で亡くなっているとされています。
文鮮明氏が亡くなってから、後継者は誰になるのか注目されましたが、息子たちともさまざまな問題があり、現在は、韓鶴子総裁が力を持っているようです。
さらに孫まで数えると、かなりの数の家族となります。
韓鶴子(ハンハクチャ)総裁は17歳で結婚・出産していた!
韓鶴子総裁と文鮮明氏は、1960年3月27日に婚約しています。
その10日後に結婚をしていますが、韓鶴子総裁の結婚年齢は、
17歳です。
夫となる文鮮明氏は結婚当時、41歳でした。
結婚した同じ年に、第一子である長女を出産しています。
若くして結婚と出産をしていたんですね。
文鮮明氏のプロフィール!
名前:文鮮明(ぶんせんめい)
生年月日:1920年2月25日
年齢:92歳没
出身地:大韓民国
職業:宗教家、実業家
1941年3月31日:早稲田高等工学校 入学
1954年:世界基督教統一神霊協会 設立
文鮮明氏は、曽祖父の代まで裕福な儒教家門でした。
経歴をまとめました。
文鮮明の経歴!
15歳:兄弟が精神病を患う
(家族全員がプロテスタントの一派長老派キリスト教徒に)
18歳:京城商工実務学校電気科に通う
1941年3月31日:日本留学(早稲田高等工学校 入学)
・韓国人留学生の秘密結社を組織
・抗日地下運動参加
・捕まり過酷な拷問を受ける
1954年:世界基督教統一神霊協会 設立
波瀾万丈な人生を送ってきたことがわかります。
韓鶴子総裁と文鮮明氏との馴れ初めは?
韓鶴子総裁と文鮮明氏との馴れ初めは、
母親が統一教会に入信したことです
クリスチャンだった母と祖母に厳格に育てられた一方、父とは幼少時に生き別れたとされている。
週刊文春
最初の転機は13歳。母が55年12月に統一教会に入信し、翌56年、ソウルの教団本部で文氏と初めて出会ったのだ。母が韓氏を紹介すると、当時36歳の文氏は年端も行かぬ少女を見てこう口走った。
「こんなにかわいい娘がいたんだね」
韓鶴子総裁は、とても可愛らしい顔をしていたんでしょう。
若い頃に出会っていたんですね。
まとめ
韓鶴子総裁の子供は14人いましたが、3人もしくは4人亡くなっているようです。
今後の権力争いも注目されそうです。
最後までご覧いただきありがとうございました。